こんにちは。
今回は帝銀事件を取り上げます。
戦後まもない1948年に、銀行員やその家族12名が毒薬を飲んだことにより殺害され、現金を奪われた「謎の多い事件」として有名です。
犯人は”平沢貞通”とされていますが、その真相解明にはまだ謎があると言われています。
ここでは、帝銀事件の真犯人として「歯科医の存在」を挙げ、その理由や根拠を調べてみました。
では、さっそく見て行きましょう。
帝銀事件の真犯人は平沢貞通ではない?
帝銀事件の犯人は、画家の平沢貞通氏が逮捕され、死刑判決を受けましたが、平沢氏は無実を主張していました。
そして1987年に、95歳で獄死しています。
戦後の混乱期の中で起きた事件だったため、自白の強要や冤罪の可能性も疑われているそうです。
ここで、帝銀時間の「あらまし」をまとめます。
帝銀事件のまとめ
1948年(昭和23年)1月26日に東京都豊島区長崎の帝国銀行(現在の三井住友銀行)椎名町(現存しない)に現れた男が、
行員らを騙して12名を毒殺し、現金と小切手を奪った銀行強盗殺人事件。
閉店直後の銀行に東京都防疫班の白腕章を着用した中年男性が、厚生省技官の名刺を差し出して、
「近くの家で集団赤痢が発生した。GHQが行内を消毒する前に予防薬を飲んでもらいたい」、「感染者の1人がこの銀行に来ている」
と偽り、行員と用務員一家の合計16人(8歳から49歳)に青酸化合物を飲ませ、計12人が殺害された。
犯人は現金約16万4410円と、1万7450円を奪って逃走した。
出典:wikipedia
帝銀事件のウィキペデイアには、複数の真犯人説があるようです。
その中でも、「東京都内在住のある歯科医を”真犯人”とする説」について、調べてみました。
【理由3つ】帝銀事件の真犯人は歯科医?
逮捕された平沢貞通とは別の「犯人」が、
”とある歯科医”と言われる理由は次の3つです。
【理由1】犯人は”医者のような態度”だった
【理由2】薬の知識と取り扱い
【理由3】真犯人の顔と一致しない平沢氏の”顔”
では、順番に見ていきましょう。
【理由1】犯人は”医者のような態度”だった
帝銀事件の生存者である、竹内正子さんが、
後年、文春の取材に応えています。
この内容によると、
・それにしても犯人は落ち着いていました。落ち着いているというより、独特の落ち着きを持っているという方が正確です。
お医者さんの持っているあの落ち着きですね。
・死んだ方のことは言いたくないんですが、中には疑い深い人だって、なかなかのウルサ方だっていたんです。
それなのに皆さんが皆さんとも信用したんですから、犯人はやはりお医者さんじゃなかったんでしょうか。
出典:文春オンライン
逮捕された平沢貞通氏の職業は、「画家」です。
画家が医者の真似ごとをして、銀行員たちを騙して”毒薬”を飲ませるのは、難しいように感じます。
それで、「犯人は医者だったのでは?」という仮説が、信ぴょう性を増すようになります。
【理由2】薬の知識と取り扱い
生存者の取材インタビューによると、
犯人は、銀行員たち16人を一堂に集めて、”予防薬”の飲み方を説明したそうです。
「予防薬には。第1薬と第2薬がある」と説明し、
「予防薬”を入れた茶碗を、行員たちの前で、初めに犯人が飲みほした」と証言しています。
犯人が先にお手本を示したことで、行員たちは信用して「毒薬」を飲んだそうです。
一連の薬に対する”知識と取り扱い”は、一般の人では”成しえない”ことが推測できます。
ましてや、画家である平沢貞通氏と薬の接点を見つけることも、困難ではないかと思われます。
【理由3】真犯人の顔と一致しない平沢氏の”顔”
生存者の竹内正子さんは、
「犯人」と獄中で見た ”平沢貞通” の顔 が違うことを証言されています。
また顔も違うんです。
平沢の顔は、どうもほほ骨が、発達しすぎているようなんです。犯人を真正面から見ているのは、私と吉田支店長代理です。
私はどうも平沢のほほ骨が気にかかるのです。
出典:文春オンライン
平沢貞通氏の顔写真を見てみると、「顎がしっかりしている男性」に見えます。
骨格がしっかりしたタイプと言えますね。
実際に犯人と相対した、竹内さんの証言は重みがあると思います。
しかし、事件発生から70年以上たち、真相は解明されず、闇の中にあるようです。
【理由3つ】帝銀事件の真犯人は歯科医?平沢貞通ではない根拠まとめ
帝銀事件の真犯人は平沢貞通ではない?
【理由3つ】帝銀事件の真犯人は歯科医?
【理由1】犯人は”医者のような態度”だった
【理由2】薬の知識と取り扱い
【理由3】真犯人の顔と一致しない平沢氏の”顔”
を調べてみました。
最後まで、お読みいただきましてありがとうございました。